2枚の水墨画を見比べてください。
同じテーマで描いた水墨画と言える。
1枚目は、国際書画連盟の理事の絵、2枚目は私(会員)の作品である。
理事の描いた1枚目の絵に会員に過ぎない私が物申すのは不届きかもしれないが、言わずにおれないのでお許し願いたい。
この絵の見どころは何であろうか。確かにそつなく描いて言えるかもしれない。
鵜飼いとはこういうものですと説明している絵に過ぎないともいえる。
画に求める物は感動である。
俳句に似ていると思う。説明になってはいけない。言葉に表されてはいないが、想像力をかきたてる豊かな表現。
水墨画に限らず、何を描くのか、焦点は何か、構想力が最も大事である。
描いていなくても想像できるからこそ、いわゆる余白が大事なのだ。
余白という字に惑わされるが、紙の白いところをに残したことを言うのではない。
1枚目の絵では、鵜飼いとは船に乗りかがり火をたき、鵜匠が鵜を操り、アユを捕る行為を素直に描いている。そつなくすべてを描いているが、そこまでである。
私の絵では一瞬見てだけでは、分からないかもしれない。
そこには、鵜匠も船も描かれてはいない。
しかし、誰にでもわかってもらえる。
では構図は別として、技術的にはいかがか。
理事という高い地位におられるからには、お弟子さんもおられ、絵も売れているかもしれない。水墨画にとって当たり前な技術が一通りあるのは当然といえよう。
しかし、船を形作る線(線描)あるいは鵜飼いが持つ綱などを見ると、線の濃淡、太細、緩急など線の魅力が全くない。
私がこれを描くにあたって力を入れたところを述べたい。
川風が火照った顔を撫ぜ、夏の暑さを一瞬忘れるほっとした気持ち。
題名の「涼風」はそこから来ている。
約50号に相当する全紙にかがり火を主役にして描きたいと考えた。
鵜を添えることによって場面を切り取ることにした。
画面を逆C形の構図はすんなりと決定したが、配置には検討を繰り返した。
かがり火が主役であるからに、かがり火が圧倒的な迫力、魅力を持たなければなりません。いったいどのように描いたらいいのかと観る人に考えさせるものでなければならない。
ついでに付け加えるが、胡粉は一切使っていません。鵜飼いが操る綱も消え入るような線をも胡粉は使っていない。白は、あくまでも紙の白さでなくてはならない。
水墨画は、字の通り水と墨で描く。思い通りにはなかなかいかない水をコントロールしなければならない。いわば偶然を必然にする作業と言っていい。
会場で多くの方に感嘆の声とともにどのようにして描くのかとの質問を受けた。言葉ではなかな言い表せない。
独創性を求めて、さらに精進したい。
安達嵐松
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